仏法考察



カテゴリ:[ なんでもフリートーク ]


新着順:6/215


[218] 本仏・本尊論24

投稿者: 法介 投稿日:2018年 9月29日(土)06時54分28秒   通報    編集済


神通之力


『諸法実相抄』 に、

 「神通之力とは三身の用なり、神は是れ天然不動の理、即ち法性身なり。
  通は無壅不思議の慧、即ち報身なり。力は是れ幹用自在、即ち応身なり」

神通之力とは、法身、報身、応身の「用の三身」であると示されています。
「用の三身」は「体の三身」に対する用語で、
『諸法実相抄』に、

 「凡夫は体の三身にして本仏ぞかし、仏は用の三身にして迹仏なり」

と仰せの「倶体・倶用の三身」のことです。

 https://6819.teacup.com/mh357/bbs/198 倶体・倶用の三身

「倶体・倶用の三身」は、
「境智冥合」と密接な関係にありますので
両者の関係を説明します。


現実世界に存在している我々凡夫は当体として存在しています。
煩悩におおわれている百界の色相は仮諦であり応身です。
一念三千の法門で分別を無分別に転じる智慧が報身です。
自身の胸中の奥底に眠る「九識心王真如の都」が法身です。
この三身はどれも我々凡夫の姿です。

   <凡夫の体の三身>
  十界互具の百界の色相  仮諦(応身)
  一念三千即自受用身   空諦(報身)
  九識の南無妙法蓮華経  中諦(法身)


三身が一身に顕れて当体蓮華(因果倶時)となり、
一身が三身に転じて「円融三観」とも「三諦の円融」ともいいます。
「体の三身」とは、我々凡夫の当体(実体)を示す言葉なのです。

※ 仏法では実体は無く、無我・無自性を説きます。
  ですから「実体」ではなく「当体」とよびます。


境智冥合の「智」は、主観として感じ取る我々凡夫の心です。
その主観は何を感じ取っているかといえば、
目に見える世界や聞こえてくる音や様々な匂い、
また口にする物の味わいや肌で感じとる感触など
いわゆる「五感」で感じ取った情報を
「意識」として認識して主観となります。
九識論でいうところの六識層の働きです。

そのように我々凡夫は、
客観的に存在する外界の情報を
個々人の六識層の働きで各々の主観を形成し、
それぞれに異なった世界を創り出しています。
一念三千でいうところの五陰世間です。

この人間の認識の根幹となる六識層の働きは、
常に我欲などへの執着(七識の末那識)がともない、
正しい判断を出来ずにもいます。

ですから、仏法では自身の意識を
六識層の更に下へと深めていきます。
爾前迹門で行われる瞑想や天台の止観法も
この深層意識へのアプローチです。

無意識層として存在しているこの 深層意識へ意識をもっていくとどうなるか。

過去遠遠劫より積み重ねてきた自身の宿業(八識の阿頼耶)を感得し
心の底から自己反省するに至って宿業は罪障消滅します。

なぜ罪障が消滅するのか。
それが仏の神通之力の用(はたらき)「仏の用の三身」です。

境智冥合の「智」が 、
「凡夫の体の三身」であり「主観」(三観)であるのに対し、

「境」は、仏の悟りである仮諦、空諦、中諦の「三諦」であり、
法身、報身、応身の「仏の用の三身」になります。


  (凡夫の体の三身)      智        境
  十界互具の百界の色相 応身 仮観 → 仮諦 応身如来
  一念三千即自受用身  報身 空観 → 空諦 報身如来
  九識の南無妙法蓮華経 法身 中観 → 中諦 法身如来
                     (仏の用の三身)

         <境智冥合の図>


つづく

http://mh357.web.fc2.com/


新着順:6/215


お知らせ · よくある質問(FAQ) · お問合せ窓口 · teacup.レンタル掲示板

© GMO Media, Inc.