仏法考察



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[207] 本仏・本尊論⑭

投稿者: 法介 投稿日:2018年 9月24日(月)07時05分25秒   通報


厭離断九の仏


『寿量品得意抄』と『開目抄上』の青色文字の部分の解説を始める前に、
この部分に深く関連する「厭離断九(えんりだんく)の仏」について説明します。

厭離断九の仏は、『一代聖教大意』の中で説かれています。

 [ 本文 ]
「法華経已前の諸経は十界互具を明さざれば仏に成らんと願うには必ず九界を厭(いと)う九界を仏界に具せざるが故なり、されば必ず悪を滅し煩悩を断じて仏には成ると談ず凡夫の身を仏に具すと云わざるが故に、されば人天悪人の身を失いて仏に成ると申す、此れをば妙楽大師は厭離断九の仏と名く」

[ 現代語訳 ]
  法華経以前の諸経では、十界互具が明かされていないので、仏に成ろう願う時は必ず九界を厭離(えんり。離れるの意)しなければならない。九界を仏界に具さないゆえである。だから必ず悪を滅し煩悩を断じて仏に成ると説く。九界の凡夫の身を仏界に具すといわないゆえである。だから人・天・悪人の身を滅して仏に成るという。これを妙楽大師は厭離断九の仏と名づけている


爾前権教の仏は、九界の生命を絶ち切って初めて実現できる境涯でした。
いわゆる「厭離断九の仏」です。

人界で何度も生まれ変わりながら歴劫修行を得てようやく仏に成る訳です。
仏に成るといっても爾前権教では
十界が互具していませんので、転生によって仏界へ辿り着きます。

転生によって仏として生まれてきますので
凡夫がそのまま仏に成るということではありません。

法華経に至って十界互具が明かされて初めて凡夫が
凡夫の身のままで仏となる即身成仏が実現しました。

その姿が「無作の三身」にあたる訳ですが、
無作の三身の「無作」は、三十二相の色相荘厳仏に対する言葉で、
三十二相で身を飾らない、凡夫のままの姿をいいます。

そもそも三十二相の仏がこの現実の世に存在し得たのかと申しますと、
爾前権教で説かれる仏は、人界から離れた仏界に転生して存在する仏ですので
人間離れした三十二相という姿で説かれたものだと考えられます。

大聖人様が御書の中でたびたび諸仏といえども迹仏、権仏と申される所以はここにあります。


つづく

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