仏法考察



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[198] 本仏・本尊論⑧

投稿者: 法介 投稿日:2018年 9月14日(金)11時54分8秒   通報    編集済


倶体・倶用の三身


第67世日顕上人は、『諸法実相抄』を

 「『凡夫は体の三身にして本仏ぞかし、仏は用の三身にして迹仏なり』という御文ですが、これが付嘱の本門の上からの大聖人様の独自の解釈です。これは大変な御文です。つまり寿量品の文底たる付嘱の本門から体の三身・用の三身を立て分けるときには、実は凡夫の上におけるところの三身をもって『如来秘密』というのであると仰せなのです。ここにこそたいへん大事な、付嘱の妙法を地涌の再誕たる大聖人様が末法に御出現して御指南あそばす御法門があるのです。
  この元意は何かと言うと、日蓮大聖人様は末法に凡夫として出現されましたが、この凡夫のままの日蓮が実は久遠の本仏であるぞという意味なのです」(大日蓮 五三六号)


と御講義されました。
しかし、大聖人様が久遠の本仏であるなどとは、どこにも仰せではありません。
凡夫こそ本仏であると明確に仰せになられています。

 「倶体・倶用の三身と云ふ事をば衆生しらざるなり」

と仰せのとおり、「倶体・倶用の三身」の正しい理解が得られていない人達が、
日蓮が本仏などという誤った解釈をするのです。

倶体・倶用の三身とは、

  御本尊---用の仏---倶用(御本尊に名を連ねる諸仏も含む)
  凡夫   ---体の仏---倶体(御本尊と境智冥合した末法の凡夫)

のことで、先に示した

  曼荼御羅本尊  ---応身---仮諦
  一念三千の法門 ---報身---空諦
  南無妙法蓮華経 ---法身---中諦

の図は、本尊の「仏の用の三身」を示したものです。
それに対して「凡夫の体の三身」とは、

     凡夫              境智冥合
  凡夫の仮諦の十如是 (方便品)仮観 → 仮諦
  凡夫の空諦の一念三千(寿量品)空観 → 空諦
  九識の南無妙法蓮華経(お題目)中観 → 中諦
                     無作の三身
となります。
図を分かりやすく説明します。

勤行・唱題をする凡夫の意識は、
方便品を読誦している時は、主観の意識が仮観に変わり
寿量品を読誦している時は仮観が転じて空観になり
お題目を唱えることで空観から中観意識に変わっていきます。

意識が六識に留まっている間は仮諦の悟りを得るのですが、
更に無意識層の七識、八識へと意識が深まっていった時、
自身の過去遠遠劫からの宿業を観じとる空諦の悟りへ辿り着きます。
そして更にお題目を唱えることで奥底の九識の「南無妙法蓮華経」に意識がとどいて
中諦の悟りを得て、宿命を転換していけるのです。(三諦の円融)


このように、凡夫の三観御本尊の三諦境智冥合して
凡夫が生身のまま無作三身の仏となって即身成仏に至ることを
大聖人様は、『当体義抄』の中で次のように御指南あそばされています。

 「正直に方便を捨て但法華経を信じ南無妙法蓮華経と唱うる人は
  煩悩・業・苦の三道・法身・般若・解脱の三徳と転じて
  三観・三諦・即一心に顕われ其の人の所住の処は常寂光土なり
  能居所居・身土・色心・倶体倶用無作三身本門寿量の当体蓮華の仏とは
  日蓮が弟子檀那等の中の事なり



つづく

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